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ひとつ思い出されるのは,南部先生ご自身が「科学」という雑誌(1990)で,何か新しい物理現象解明にあたって物理学者の思考形態は3つに分類できると言われていることである:すなわち
「湯川モード」(原理を変えるのではなくて,たとえば新粒子導入を検討),
「アインシュタイン・モード」(原理を変えるべきかどうかを検討),
「ディラック・モード」(可能な原理の中で美しい理論を選択)。
南部理論はいわばディラック・モードが自然に適用されたといえないだろうか。
今後この流れに添ったさらなる発展が期待される。
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"五十六世紀人たちのしゃべる言葉は、長い場合は猛烈にはやかった。――まるで昆虫の翅音のようにしかきこえない。一つ一つの単語をゆっくりきかせてもらうと、その中には二十一世紀の言葉が、猛烈に簡略化され変形されて、かすかな痕跡をのこしていることがわかるが、とてもききとれたものではない。その上、彼らの言語系の中には、数式や数字の概念が、たくさんとりいれられていて、とてもついていけたものではなかった。――日常の会話は、まったく静粛で、言葉すくなかった。というよりは、大脳前頭葉が二十一世紀人にくらべて極度に発達した彼らは、ほんの短い、間投詞のような言葉を投げかけあうだけで、ほとんどの意味が通じてしまうらしかった。しかし、長い議論になると、鳥のさえずりのような、せせらぎのようなせわしない声があたりにみちた。――彼が発見しておどろいたのは、五十六世紀人たちは、会話が熱をおびてくると、しばしば二人ないしそれ以上の人たちが、同時にしゃべりまくるということだった。最初はそれが受け答えになっているのかと思ったが、そうではないらしく、めいめいの人間は、相手のいっていることなどきかず、猛烈なスピードで自分の考えをしゃべりつづけ、相手のしゃべりつづけている話のうち、ほんの一つ二つの単語なりフレーズなりで、なにかこちらが展開している思考にヒントとなるようなものがあれば、それが相手方の展開している思考系列のなかで、どういう順序、または意味で組みこまれているかということとは関係なく、それをこちらの思考の流れにとりいれて、また新たな方向へ、自分の考えを展開していくらしかった。――つまり、彼らの議論とは、めいめいが相互に情報発信源になってのべつ発振し、何かめいめいにとってそのなかで、瞬間的に共鳴する情報だけがコミュニケートすればいいのであって、相手の考えを全面的[#「全面的」に傍点]に理解する必要はなかったのだ。にもかかわらず、そのやり方は、相互に共鳴し、コミュニケートする情報が、ある確率[#「確率」に傍点]でもって整理されていくことによって、りっぱに――むしろいちいち言葉の厳密さをたしかめて、煉瓦《れんが》のように論理を構築していく古いやり方より、よっぽど効率よく――相互の思考を進展させ、同時にめいめいがちがった側面において、新しい問題に達することによって、ひろがりを深めていくのだった。"
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"ビクター音楽部門を売却という記事が。
終わりだ。何を考えているのか。
音楽ソフトこそが、ソフトこそが、これからのキーとなるのに、それを手放してしまっては、何の競争力もアドバンテージもない会社になってしまう。むしろ、ソフトだけ残して、残りを売るべきだ。売るのならば。"
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"同僚の授業に出てみる。
これは大学では一般的ではないし、小学校や中学校では、もっとないことかもしれない。
しかし、これは勉強になる。
もちろん、自分の授業を見てもらい、批判してもらうのは、もっと重要だ。嫌だが、修行としては、必要だ。
そのとき、お互いに忌憚なく批判し合える関係は重要で、貴重だ。
同僚は重要だ。
このプロセスがない、先生、と呼ばれる人々の世界は、駄目になっていくのは必然だ。
反省しないといけない。"
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"人生をもう一度やり直すとしたら、今度はもっとたくさん失敗したい。
そして肩の力を抜いて生きる。もっと柔軟になる。
今度の旅よりももっとおかしなことをたくさんする。
あまり深刻にならない。もっとリスクを冒す。
もっと山に登ってもっと川で泳ぐ。
アイスクリームを食べる量は増やし、豆類の摂取量は減らす。
問題は増えるかもしれないが、想像上の問題は減るだろう。
というのも、私は毎日常に良識ある人生をまともに生きてきた人間だからだ。
もちろん、ばかげたことも少しはやった。
もし生まれ変わることがあったら、ばかげたことをもっとたくさんやりたい。
何年も先のことを考えて生きる代わりに、その瞬間だけに生きたい。
私はどこに行くにもいつも万全の準備を整えて出かけるのが常だった。
体温計や湯たんぽ、レインコートなしにはどこにも行かなかったものだ。
人生をやり直すとしたら、もっと身軽な旅行をしたい。
もう一度生き直すとしたら、
春はもっと早くから裸足で歩き出し、秋にはもっと遅くまで裸足でいる。
もっとたくさんダンスに出かける。
もっとたくさんメリーゴーラウンドに乗る。
もっとたくさんのディジーを摘む。
それぞれの瞬間をもっとイキイキと生きる。"
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"もう一度人生をやり直せるなら・・・・
今度はもっと間違いをおかそう。
もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。"
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個人的には、目的をはっきりさせた上で、将来理論の研究者になる学生がいそうもなかったら、ε-δ論法もばっさり切ってしまう方がよいと思う。私はそうしている。直感的な説明だけする。連続性も定義しない。つながっているかどうか、という単純素朴な理解で困ることはまずないからだ。
目的をはっきりさせること、役に立たない話をばっさりカットすることは、学生の学力が年々低下している(大学入学者の学力の低下)以上やむを得ないということでもある。
簡単な計算もできない学生に論理を教えこむのは間違っているからだ。計算は数学的論理そのものであり、計算できない人に数学的論理だけを取りだしてを教えるというのは馬鹿げていると個人的には思う。
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"故山口昌哉先生によると、「エンジニアにとって、数学というのは、料理のレシピみたいなものだ」という。ああやってこうすればおいしい料理ができる、というのと同じように、こういう問題を解くには、この公式とあの公式を使えばいい、というように理解しているというのだ(これは数学者にとってもそうなのだが、数学者はわからない問題を考えるのが商売なので、構えがだいぶ違う)。"